《写真漢詩・短歌》四長、岩瀬浜で北前船のロマンに浸る(富山吟行8)。
富山市の岩瀬、北前船の寄港地として栄えた。北前船の定義は色々ある様だが、どの定義にも必ず入っているのは、この3点だ。「①活躍した時期は江戸中期〜明治中期、②寄港地で売り買いをしながら、③上方(大阪)と蝦夷地(北海道)の間を北回り(日本海経由)で往復する。」である。特にポイントは②の売り買いしながらで、ある港で物産を安く仕入れ、他の港で高く売る、これを繰り返しその差額で莫大な利益を挙げたことにある。1往復で平均1千両(今なら1億円?)を儲けたというから半端無い。正に「北前船は海に浮かぶ総合商社」だ。
岩瀬は、その北前航路のちょうど中間に位置する。寄港地であるだけでなく、「岩瀬の五大家」と言われる廻船問屋の本拠地でもあった。往時の繁栄ぶりは容易に想像できる。
しかし、その北前船にも明治中期荒波が襲う。一つは鉄道の普及だ。明治28年、東京〜青森間の東北本線が開通し物資の輸送は一気に鉄道にシフトする。二つ目は電信の普及だ。日本全国を結ぶ電信網が完成する。それまで北前船が独占していた物産の価格情報が電信により、瞬時に全国で知れ渡る。価格差で儲ける北前船のビジネスモデルは少しづつ崩れていった。
岩瀬五大家の一つ桝田家が廻船業を廃業、新たに酒造業を起こすのはこの頃だ。全国へ販路を広げ、文明開花の荒波を乗り越える。
それから約120年、岩瀬の街に往時の繁栄の面影は無い。でも、街は今も健在だ。健在と言うよりも、とてもお洒落で清潔な街に変身を遂げている。立役者は、「満寿泉」ブランドにより世界的に有名な枡田酒造の5代目社長枡田隆一郎氏だ。氏は岩瀬の街中で家屋や土蔵が売りに出たり、取り壊しの情報が入ると次々と購入する。そしてそれを改修し、レトロでお洒落なレストランや酒肴・酒器のショップ、アート工房に生まれ変わらせる。酒をテーマに統一感ある「街づくり」を強烈なリーダーシップで進めている。
最近、氏のインタビュー記事を読んだが、街づくりはまだ道半ばとのことだ。酒をこよなく愛する私としては、「北前船のロマンが残る岩瀬浜で、酒を中心にした街づくり」の行方に目が離せない。
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| 富山の親戚が岩瀬の「満寿泉」の大吟醸と高岡の「能作」の錫のぐい呑み「TATEYAMA」を贈ってくれた。 |


