《写真短歌》四長、胸像(鈴木りんいち作)と過ごした日々を語る。
今日は友だちの話だ。コロナ禍の緊急事態宣言の最中、家人以外とは、殆ど会話がなくなったとき、一緒に過ごした友の話だ。友と言っても人間では無い、軽井沢で一目惚れして購入した胸像の話だ。この胸像を見ていると、自然に詩歌が降りてきて幾つも詠んだが、今日はそのうち3つの短歌を紹介して記事としたい。そのときの状況や心情は、写真を見て、短歌を読んで頂ければ、大体はご推察していただけるかと思う。
緊急事態宣言下の私の一日は、朝日とともに起き、窓際に置いたこの胸像の横の椅子に腰掛け、大きめのマグカップでコーヒーを飲むことから始まった。家人はまだ起きてこないので、自然とこの像と二人で、昨日の反省と、今日やろうと思うことを結構長い時間語り合った。そうすることによって、あの淡々と過ごす日々の自分にとっての意義を確認していた。
一日のルーティンが終わる夕暮れどき、天気の加減とタイミングが良ければ、胸像に秋の夕陽が当たる。胸像は眩しそうだが、イイ表情を見せてくれた。何を考えているのか、思いを巡らしながら暫く像を眺めていた。テレビやネットを見れば、気持ちもささくれ立ちがちな日々であったが、胸像の表情を見ると気持ちが解れていった。私は、その頃からテレビをあまり見なくなった。
あの期間、旅行へも会食へも行けなかった。ルーティンを繰り返す、実に単調な日々ではあったが、今、思い出すと、そんなには退屈していなかった。静かで、落ち着き、穏やかな、それでいて濃厚な、少しオーバーだが、いつか来るその日の予行演習をしているような心持ちでいられた。胸像は、そんな心持ちを支えてくれていた気がする。
この胸像の作者は、鈴木りんいち氏、茨城県笠間市を拠点として活動する現代美術家である。ブリコラージュ(bricolage)作品を制作している。ブリコラージュ(bricolage)とはフランス語で、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」ことを意味する。彼が制作に使う材料は、みんなそこらの木材や錆びついた鉄、廃棄されたガラクタだ。それらを溶かし素材としたり、そのまま使って、作品を創造する。まさに「再生の作家」だ。そんな彼の作品と暮らしていると、自分も再生されていくような感覚が確かにある。これもアートの力だと思う。