《写真漢詩・短歌》ピカソの時代(6)マリー・ローランサン

 


 マリー・ロランサンは、20世紀前半に活動したフランスの画家だ。彼女は、パブロ・ピカソ、後に彼女の恋人となる詩人ギョーム・アポリネールらとともにモンマルトルの安アパート(洗濯船と呼ばれた)で、不遇時代を過ごした。しかし、彼女はその後1920年代、パリの「レザネフォル(狂騒の時代)」の寵児となる。パステル・カラーの少女像という独特の画風を確立して、、、




      マリー・ローランサンが今、ブームだ。東京のBunkamuraや京都の京セラ美術館で大型の企画展が開催されている。「彼女とフランスモード界との関わり」、「シャネルとの確執」、「バイセクシャルの告白」等、今日的な話題も満載で盛り上がっている。そんなローランサンだが、日本では、前にも結構長い期間続いたブームがあった。1975年〜1985年くらいか?その時も大きな回顧展が日本各地で開かれ、東京のタクシー会社の社長が、自身が所有している500余点の作品で、蓼科に美術館を設立するなど大いに盛り上がった。フランスの美術評論家が「マリー・ローランサンが今日まで生き永らえたのは、日本のあのブームのお陰」と言っているくらいだ。



 
 ローランサンの絵のファンといえば、その題材、色合い等からか圧倒的に女性だ。前のブームの時も、フランス好きで美術好き、知的でお洒落な女性が多かった記憶がある。そうなると男性陣も大変だ。何とかお目当ての女性の関心を引こうと、ローランサンについて勉強して、美術展のチケットを購入したり、画集を送ったりしていた。そんな時代だった。



 そんな時代、恋をする若い男性には、結構困難なハードルが用意されていた。まだ携帯電話が存在していない。彼女をデートに誘うには、彼女の家の電話にかけなければならなかった。彼女が出ればラッキー!母親はまだ何とか乗り越えられる。最悪は彼女の父親が出た場合だ。これは乗り越えられない。当時の私のアンケートでは、友人の70%が父親が出れば「間違えました」と言って電話を切る、30%に至っては、何も言わずに直ぐ切るだった。そうなると手紙しかない。買い慣れない絵葉書なんて買う。「ローランサンの絵葉書で、ローランサン展へ行きませんか?」なんて素敵な誘い方だ。さすが俺って感じだ。でも、、彼は直ぐに気が付く、彼女の家のポストでその絵葉書を見つけるのは父親かもしれないと、、、そうして、書きかけの絵葉書は、ほぼ永遠に机の引き出しに眠ることになる。

 何十年後、実家の整理なんかで、その絵葉書に再会することがあるかもしれない。一瞬広がる甘酸っぱい記憶、きっと気分はそんなに悪くないと思う。

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