《写真短歌》四長、赤倉観光ホテルに泊まる。

  私は自分のことを無神論者だと思う。浄土宗系の高校を卒業し、結婚式も神道で行ったが、特に仏様や神様の存在を意識したことは無い。況してやキリスト教については、クリスマスや娘や知人の結婚式以外は全く無縁の人間だ。そんな私が、神の存在を少しだけ身近に感じた二日間を、二つの短歌でお伝えしたい。2022年4月8日、9日の話だ。場所は「赤倉観光ホテル」、新潟県、いや日本有数のスキーリゾートだ。まずはこの短歌だ。


 ホテルは、妙高山の中腹、標高1000mにあり、展望フロアーからは、眼下に野尻湖、そして斑尾山、八海山といった志賀の連山が一望に臨める。そしてフロアーは結婚式場も兼ねているので、山側に突き出したデッキには水が貼られ、十字架が建てられている。初めて見るシチュエーション、景色だ。神秘的と言ってよい。不思議な気分になったのはその時だ。十字架が私に問いかけてくるのである。「お前、何か懺悔しなければならないことあるだろう?」と、冒頭述べたように私は無神論者である。街でキリスト教会の十字架を見ても何も感じない。それなのに、、、、理由は明白だ。十字架が神々しいとも言える山嶺を背景にしているからに違いない。山の神(箱根駅伝ではない)はいるかもしれない。


 しかし、決定的な瞬間がやって来たのは翌朝だ。ホテルの部屋の窓のカーテンの隙間から光が差し込む。その光がまるで私を手招きするように揺れた。思わず窓に近づく私が見た光景は、まるでこの世のものとは思えなかった。山嶺の遥か向こうから朝日が昇る。朝日は瞬間、それまで見えていた星々を消し去り、山際から空を染めていく。その光がゲレンデの雪に反射して辺りは黄金に輝く。荘厳な自然のドラマが繰り広げられた。その時だ、来光が放った光の矢が私の胸に突き刺さった気がした。私は思った「今、此処に神がいる。」と、、


 そして、その神聖なドラマの終わりを告げるように、来光の斜め上の天空を流星(箒星、ハレー彗星みたいな)が来光に向かって駆けて行った。

 この流星については、後日画像を見た友人から「飛行機雲だろ、お前は寝ぼけていたのさ」との正に身も蓋も無い発言があった。折角、神秘的な気持ちに浸る私を邪魔しないで欲しい。

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