《写真漢詩》四長、漢詩でウクライナの平和を祈る。

  ウクライナ開戦から、今日で1年2ヶ月経過したが、ロシアの侵攻は終わる気配は全くない。テレビの特集番組を見ていても、遣る瀬無い思いが募るばかりだ。私は、春夏秋冬の草花や、吟行と称する旅行を、短歌や漢詩で詠んできたが、時に時事問題についても漢詩で詠むことにしてきた。ウクライナ問題については、当初は周りの関心も高く、沢山詠んできたが、最近はとんとご無沙汰している。慣れてきたのか?関心が薄れてきたのか?そんなことは決して無いつもりだが、自分の中で少し反省している。本日は過去の作品から、3作アップして振り返り、「ウクライナに1日でも早い平和を」との思いを新たにしたい。

 ロシア侵攻の直前に詠んだ五言絶句だ。外電が伝えるロシア軍のウクライナ国境に集結のニュースを聴いて詠んだ。でもその時も「さすがに、プーチンもそこまでやらないだろう。」と高を括っていた。外交による努力、解決を期待する思いが、仙台堀壁面アートを撮った写真や「地球」と言うタイトルに現れている。今となっては虚しい限りだが、、、、

 侵攻後2ヶ月経過した時期に詠んだ五言律詩だ。ウクライナ軍の善戦とロシア軍のウクライナ軍を甘く見た計算違いで、戦線は膠着していた。トルコの仲介等、和平に向けての外交努力も重ねられたが、進展は見られず焦る思いがしていた。(私が焦ったって仕方ないが)この頃に見た映画「西部戦線異常無し」の影響もあり、長期戦を想像し虚しい思いで時を過ごしていた。最終句にある通り、いつもなら心癒されるはずの昼の月も、その日、癒し効果は殆ど無かった記憶がある。


 最後は「プラハの春」を詠んだ七言絶句だ。2019年訪れたときの写真を昨年探し出し、それを見て詠んだ。プラハ訪問の際、どうしても訪れたかった場所が、ここヴァーツラフ通り(広場)だ。1968年の「プラハの春」や1989年の「ビロード革命」の舞台だ。なかでも「プラハの春」は、当時8、9歳であった私に、生まれて初めて、世の中には(それも国際政治において)随分理不尽なことがあると思わせた出来事だった。この通りをソ連軍の戦車が我が物顔で走り回り、勇敢なプラハ市民が、その戦車の前に立ち塞がっていたのを鮮明に覚えている。それが今、写真のように人々は平和を謳歌し、街は賑わっている。そんな平和な詩を詠いたいところであるが、それはとても出来ない。どうしても、プラハからそれほど距離の無いウクライナの現状と重なってしまうのだ。キーウは、ヘルソンは、バフムトはと最近覚えたウクライナの地名を思い浮かべて、嘆き悲しみ、平和を祈ることしか出来ない。

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