《写真短歌》四長、花水木に昭和を想う。
「ハナミズキ」である。私にとって「ハナミズキ」と言えば一青窈である。何故かと言えば、答えは至ってシンプルだ。恥ずかしながら、私は詩歌を始める前まで花の名前を殆ど知らず、「ハナミズキ」も例外ではなかった。彼女の歌が先行し、後にこの花の名札を見て「これが、一青窈のハナミズキか」と認識したからだ。
そして最近、今更ながらであるが、その一青窈がなかなかの歌い手であると認識した。それには2つ私なりの理由がある。一つは、彼女はカバーが上手いからだ。カバー専門の番組もあり、カバーを売りにする歌手も数多くいるが、私にとってカバーを聴く意味は、その歌の歌詞の意味がオリジナルの歌い手以上に、伝わってくるか否かに掛かっている。カバーの上手い歌手はオリジナル曲へのリスペクトからか、歌詞の一言一言を丁寧に歌ってくれる。そうすると私達も歌詞の深い意味、言わんとすることが、オリジナル以上に理解出来る。そのときこそが、私がカバーを聴いて良かったと思う瞬間である。一青窈にはその瞬間が沢山ある。岩崎宏美の「シンデレラ・ハネムーン」とか井上陽水の「ジェラシー」等々、オリジナルの素晴らしい歌の細かい描写や詩の背景が、彼女の歌唱で、より鮮明に理解出来、驚くことがあった。
もう一つは、彼女の作詞力である。以前に編曲家の武部聡や森山良子が、彼女の作詞力を絶賛していたが、コロナ禍を経て私もそう思うようになった。特に「ハナミズキ」の歌詞は素晴らしい。深い。聞けば「ハナミズキ」は、最初は「戦争」や「テロ」の描写も入った、もっともっと長い歌詞であったそうだ。それを削って削って残ったのが、あの珠玉のフレーズの連なりである。そして最後の決めの「君と君の好きな人が百年続きますように」である。深いはずだ。
そんな、「ハナミズキ」はその素晴らしい歌詞故、本当に多くの歌手がカバーしている。でもカバーの名手一青窈を超えて、その素晴らしい世界観を、別の歌手がカバーで伝えるのは至難の業だと私は思っていた。ところが先日、一人これはカバーした意味があるなと思える歌い手に出会った。それもテレビCMを見ていて、いや聴いていて、、、「ヤクルト400w」のCM、大泉洋である。驚いた。歌い上げるというよりも、自然体で口ずさむような歌唱であったが、一青窈とはまた別な「ハナミズキ」の世界観が伝わった。これもアリだ。やはり彼は只者ではない。
前にも書いたが、仙台堀は今、躑躅が圧倒的に咲き誇っている。躑躅王国といった風情だ。でも、ちょっとだけ視線を上に移すと、あの「薄紅色の可愛い君」の花弁が風に揺れている。その色や形は、私を少しだけ甘酸っぱい気持ちにさせる。百年の半分の五十年前の記憶だ。私にも風薫る日々があったと、、、