《写真短歌》作曲家シリーズ(6)ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」
浅田真央はラフマニノフが好きだった。そうでなければ、彼女の選手人生の天王山とも言えるバンクーバーとソチの二つの冬季五輪のフリー演技のプログラム使用曲に、ラフマニノフの曲を選ぶはずがないと思う。
バンクーバー大会で選んだのは、「前奏曲『鐘』」である。あまりにも重厚な曲で、彼女と同い年の宿命のライバル、韓国のキム・ヨナ選手が、映画007シリーズのイメージを取り入れた軽快でキャッチーなオリジナルの曲で挑んだのとは対照的だった。シーズン当初は点数も伸びず、彼女も苦労しているのがテレビ画面を通して見てとれた。五輪が刻々と近づいてくると、日本中の彼女のファンから「ラフマニノフはやめて」「鐘はやめて」「前シーズンの曲に戻して」と大合唱が起こった。
でも彼女は頑固(あの穏やかな風貌からは想像つかないような意志の強さ)だった。そこから猛烈な練習で、このプログラムを仕上げ、大会をラフマニノフで戦った。結果はキム・ヨナに敗れ銀メダルで終わったが、キム・ヨナよりも高難度の技で戦った彼女は、正に最後まで諦めない「敗れざる者」であることを証明した。私には彼女はプログラムの曲を変更しないことで、ラフマニノフの名誉まで守ったように感じられた。
4年後のソチ大会、彼女がフリー演技の曲として選んだのは、またしてもラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」だった。この大会、バンクーバーの雪辱を期す彼女は、ショートプログラムでミスが続き、まさかの16位と出遅れる。彼女の惨めな姿を見たくない国内のファンからは、フリー演技を棄権すべきではとの声まで上がった。でも彼女はこの時も「敗れざる者」であった。
フリー演技では、ラフマニノフのピアノ協奏曲に導かれるように、高難度のジャンプを次々に成功させる。最高のパフォーマンスを見せ、彼女の競技人生のフリー演技最高点を叩き出した。順位も16位から6位に上った。後に彼女自身、このときの演技が一番記憶に残っていると発言している。私にはラフマニノフが、彼女にバンクーバーの恩返しをしたように感じられた。
では、何故彼女はラフマニノフに拘ったのだろうか?昨年、音楽番組でベテラン指揮者の藤岡幸夫と広上淳一の対談があり、二人がラフマニノフについて熱く語っていた。二人曰く「ラフマニノフの曲は、照れ臭いくらい切なくロマンチック。ラストは必ず噴水の如く高く高く吹き上がり、指揮をしていて本当に気持ち良い、ある種エクスタシーに達する。そして聴衆の興奮も約束されている。」と。
そうか、浅田真央もリンクの上で、一人観客を指揮していたのかもしれないな。確かに観客は彼女に指揮されるように演技に合わせて、揺れ動き、立ち上がり、拍手する。そして、彼女は知っていた。観客を魅了するためには、彼女自身の没入感・恍惚感が必要だと、、、だからきっと浅田真央にはラフマニノフが必要だったに違いない。
今、YouTubeで探せば、ソチ冬季五輪・フィギュアスケートの浅田真央のフリー演技を見ることが可能だ。私のお勧めは、テレビ実況解説抜きのバージョンだ。あの時、リンクの上で浅田真央に何が聞こえていたのか?浅田真央とラフマニノフ、そして観客の三者が一体となった完璧な4分間を楽しむことが出来る。