《写真短歌》四長、出雲大社を詣で、古事記と出逢う。
昨年の今頃、山陰を旅した。その際出雲大社も訪れた。30年振りくらいだ。参道を本殿に向かうと右側に突然オブジェが現れた。前回訪問時には無かったような気がしたが、実はもう存在していたようだ。前回は、出張で仕事前の早朝、本当に駆け足の訪問だったから、気が付かなかったんだろう。だから、実質初対面!ど迫力だ!心が動く。
誰の像かは直ぐに分かった。出雲大社の祭神、大国主神だ!案内板を読めば、像の名は「ムスビの御神像」と言い、表現しているのは、古事記の世界、大国主神がまだ神様になる前の人間の頃の話だ。私なりに要約すると「彼の目の前に、荒波に乗ってやって来た「幸魂・奇魂」といった「魂」たちが現れる。この「魂」が只者ではない(「魂」は普通只者ではないが)。「魂」たちは彼に色々教育を施し、彼はそのお陰を持って、「ムスビの大神」と言う神様になった。」更に「「ムスビの大伸」とは、男女の縁だけではなく、世の中の色々なものとの縁を結びつけて幸福にする(世界平和も可能だろう)神様」とのことだ。そうこれは古事記の名場面、人間・大国主と「魂」の出会いの決定的瞬間を捉えたオブジェだったんだ。
知らなかったな。出雲大社には申し訳なかった。今まで私は出雲大社は「人間の男女の縁結び」を専門的に担当する神社と思い込んでいた。出雲大社は、もっとスケールの大きな、奥が深い、森羅万象を司る神社であったと、改めて認識した。
でも大国主神は、働き者であられる。森羅万象というだけあって、細かいことにも良く気が付かれる。神社の境内に修学旅行の女子中学生たちが大勢いたが、その作戦会議にも、一つ一つ丁寧に関与されているようだった。会議の内容は、たわいの無い内容かもしれないが、彼女たちは真剣な様子だ。大国主神には適切なお導きをお願いしたい。