《写真短歌》三人のパリ(荻須高徳「歩道」)
荻須高徳、後にフランス大統領となるパリ市長時代のシラク氏が、「最もフランス的な日本人」と称した。私と同じ愛知県出身の画家である。その荻須のリトグラフが今我が家のリビングに飾ってある。日本橋の丸善のギャラリーで数年前に購入した。沢山の画家の中から、荻須高徳の幾つかの作品の中から、この作品を購入したのは、荻須が同郷だったこと以外に、この作品に「何か惹かれるもの」があったからである。その「惹かれた何か」が、昨年突然判明することになった。
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我が家のリビングに掛かる荻須高徳のリトグラフ「歩道」 |
大好きな佐伯祐三の絵を見るために、大阪の中之島の美術館を、昨年早春訪ねたことはこのブログ(3月26日付)にも書いた。その時に佐伯祐三の沢山の絵の中に、このリトグラフと全く同じ構図の絵(写真下)があることを発見した。前に画集などでも見ていたのだろうが、その時は気が付かなかった。やはり実物を見ると違う。しっかりと同じ場所を、同じアングルで描いた絵であることが、私にも確認出来た。後で知ったことだが、荻須は佐伯の芸大の後輩で、佐伯の第2期渡仏の後を追い、佐伯が亡くなるまで行動を共にしていたのだ。(荻須ファンにとっては有名な話かもしれない、不勉強だった。)
既に死期が近づいていた佐伯が、パリ市内のあそこをスケッチしたいと言えば、佐伯のキャンバスやディーゼルを荻須が背負って連れて行ったのだろう。佐伯がスケッチを始めれば、その構図をその後ろから勉強しながら、自分もスケッチしていたに違いない。そうか、その時の荻須のスケッチが、このリトグラフの下絵だったのか、、そして確信した。数年前に丸善で、私がどれを購入しようと考えていたあの時、私の心の中の佐伯祐三が「これにしろ!」と私に命じたに違いないと。そう思うと、益々このリトグラフに愛着が湧いて来た。
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大阪中之島美術館で撮影した佐伯祐三「街角の広告」 |
今、我が家のリビングには、佐伯と荻須のリトグラフが、フジタ(この頃、二人の芸大の先輩フジタは既に「パリの寵児」と称される絶頂期にあり、佐伯・荻須の二人もフジタ夫妻と親交があった。)のリトグラフを挟んで壁にかかっている。(因みに、私はこれを「奇跡の三位一体」と呼んでいる。)
私にとっては偶然に購入し、壁に飾っていた3作品だが、こうした物語で繋がると感慨深い。3作品を行ったり来たり眺めながら、あの頃のパリを想像して飲むワインは格別だ。短歌も降りて来る。