《写真短歌》集合写真と暗い過去
3月になると、木場公園では、小学校や幼稚園の集合写真の撮影現場をあちらこちらで見ることができる。普段は結構生意気であろう子供たちが、緊張のせいか、神妙な顔をして並んでいるのが面白い。
と、結構、穏やかで優しい短歌を詠みましたが、実は私には集合写真については暗い過去がある。何故暗いかと言えば、私には小学校の低学年まで、集合写真というと、どうしても目を瞑ってしまう癖があったのだ。当時は集合写真と言えば街の写真館の店主が出張して来て、道具も何か黒いマントのようなものから、デカいカメラレンズが顔を出し撮影、結構明るいのに、これも大袈裟な道具でフラッシュを炊く、というなかなか仰々しいものだった。(その仰々しいさが失敗は許されない雰囲気を醸し出す。)
そんな時、何故か合図と同時に私は思い切り目を瞑ってしまうのだ、その私のために取り直しになる。辛かったな。何度かは、私が目を瞑っても見過ごされて、撮影終了になる時もあった。でもそんな時は、家で出来上がった写真を見て両親が完全に目を瞑った私を捜し出しガッカリするのだ。普段は私に大甘の祖父母でさえ「情けない」と私を責める。辛かったな。集合写真のある日は朝からドキドキが止まらなかった。余り思い出したくない思い出だ。
神妙に並ぶ子供たちは、勿論だが、写真の右側の木の根元に並んでいるリュックも、なんだか微笑ましい。良い仕事をしている。リュックにパンパンに詰め込まれている荷物は何か?願わくば、また四月から新しい道を歩き始める子供たちの「夢」や「希望」であって欲しいものだ。(昔、薬師丸ひろ子が歌っていた歌の、そんな歌詞を思い出しました。)
明日から、海外シリーズ第3弾として、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアの連載(8回)をお届けする予定です。