《写真短歌》木場の胡蝶菫(実存主義的?短歌です)

  立春の朝、木場公園で三色菫を見ました。写真の通り鮮やかな濃い紫で、早速短歌か俳句で詠もうとしましたが、そこでふと考えました。三色菫って言っても、目の前の三色菫は紫の単色で三色ではありません。何か別の名前は無いか、スマホで検索、パンジー、ビオラ、、イイのがありました。「胡蝶菫」、コレだなと思いました。


 でも名前の由来は書いてありません。想像するに花弁が「胡蝶」(蝶)に似ているからでしょう。写真で見ても、紫色の羽の蝶が草の上に止まっている様に見えないこともありません。これに決めたと思ったとき、最近物忘れが激しいくせに、昔のことは鮮明に思い出す私の前頭葉に何かが電気が走りました。

「確か、受験勉強のとき、読んだ「源氏物語」の中に「胡蝶」の巻ってのがあったな。その中で、光源氏の奥さんの「紫の上」が胡蝶の和歌を詠んでいたな。」と。

 そうか、三色菫に胡蝶菫と言う別名を与えた人は、蝶に似た花弁だけではなく、源氏物語の紫の上を思い浮かべて名付けたに違いない。だから胡蝶菫は三色菫の中でも、この紫単色のものだけを言うのだと、、

(すみません。全くの私の推論、暴論です(笑))

そのとき、私が詠んだ短歌がこれです。


 下の句の「夢か現か」は、中国の荘子の説話「胡蝶の夢」(司馬遼太郎にも同名の長編小説あり)から連想しました。「自分は夢の中で蝶になって飛んでいた、でも夢から覚めると、今度は本当は自分は蝶で人間になった夢を見ているのでは思う。夢と現実の区別がつかなくなった。」と言う話です。(荘子って紀元前から実存主義的だったんですね。(笑))

源氏物語から、中国の思想家・荘子、そして果てはサルトルの実存主義を思う、不思議で少しだけ哲学的な短歌になりました。(でも紫ってそんな色です。)

明日も木場からお届けします。


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