《写真漢詩》ニューヨークタイムズと盛岡(5)
光原社の名付け親は宮沢賢治です。光原社の創業者及川四郎は、賢治とは盛岡高等農林学校の先輩・後輩の間柄で、賢治の代表作の一つ「注文の多い料理店」は彼の手によって出版されました。そして賢治が出版の際、付けた社名が「光原社」だったとのこと。そう聞くと如何にも賢治が考えた名前に思えてきます。「どこまでも続く光り輝く草原、、、」店もそれに相応しい雰囲気を漂わせ、中庭に至ってはもう完全に賢治ワールドです。
その思い出を詠んだ漢詩です。
光原社は、賢治が37歳で世を去ったのちは、南部鉄瓶や漆器の製作を手掛けました。そしてその後、民藝運動の思想家柳宗悦や版画家棟方志功らとの親交を深め、全国的に有名な民芸店になり今に至っています。
勿論現在の商品ラインナップもとても魅力的です。私はニューヨークタイムズが盛岡を推薦している要素の一つにこの店の存在があると思っています。
明日は、盛岡シリーズの最後、夜の盛岡をお届けします。