《写真短歌》ピカソの時代(4)
今日は、昨日に予告した通り、ピカソとマチス、二人の巨人の関係を詠んだ短歌をお届けします。
マチスとピカソ、年齢はマチスの方が十歳年上ですが、二人は友人でありライバルでしたが、その関係は繊細かつ微妙なものでした。そして、絵画上でも常に会話し、時に激しく争いました。
二人とも写実主義とは、早くに訣別しましたが、マチスは色と形の究極の調和を目指し、画面の中で静寂を実現し、
一方で、ピカソはデフォルメを多用し、敢えてその画面の調和・静寂を乱しました。
当時、他人が二人の絵を見れば、二人は全く違う方向へ向かっていると考えたに違いありません。
しかし、ピカソはマチスの死に接したとき、次の言葉を残しました。
「自分ほど、マチスの絵を注意深く見たものはいないし、マチスほど自分ピカソの絵を注意深く見たものはいない。」と。
お互い、生涯その作風を何回も変える画家であり、意識し注視し続けるのは、大変で結構しんどいさもあったと思いますが、お互いの画業には欠かせない刺激剤であったことは間違いないと想像します。
「天才のみが天才を知る。」かな。
そんな二人ですが、今年制作したマイカレンダーでは、仲良く同居しています。
明日からは、3日間は、節分・立春を迎える仙台堀の草花を詠んだ作品をお届けしたいと思います。