《写真短歌》四長、モダニズムの館に興奮!(後編・長野県立美術館東山魁夷館)
昨日に続き(※リンク)、モダニズム建築家谷口吉生の話だ、写真は長野県立美術館東山魁夷館である。名前の通り日本画家東山魁夷の作品を所蔵する美術館である。谷口吉生は魁夷の美術館を此処の他に、もう一つ「東山魁夷せとうち美術館」を設計している。魁夷の絵を収める器と言えば谷口吉生と決まっているようだ。その理由は明白、生前の魁夷自身が指名していたんだそうだ。魁夷夫人も大賛成と言うか、夫人の方が「貴方、谷口吉生さん(吉生ちゃん)にお願いしましょう。」と積極的であったとの話もある。
東山魁夷と谷口吉生の縁、これは実は東山魁夷と谷口吉生の父谷口吉郎との深い親交に遡る。昭和39年、谷口吉郎が皇居の東宮御所を設計することに決まったとき、東宮御所の壁画を描くのに決まったのが魁夷だったのだ。それ以来二人は親交を深める。当時千葉県市川にあった魁夷の自宅兼アトリエを、谷口吉郎は何度も訪れるが、そのときは必ず息子吉生を連れて行ったそうだ。(後に吉生は大変可愛がって貰ったと述べているが、夫人にもお菓子なんぞを出して貰ったに違いない。)
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東山魁夷「御射鹿池」長野県立美術館東山魁夷館蔵 |
そこで谷口吉生は、東山魁夷の作品に興味を持ち、成長すると魁夷の展覧会の展示、構成も手伝うようになった。そしてその中で魁夷の作品への理解、魁夷という画家への理解を深めて行った。吉生は突き詰めた。「東山魁夷は最も伝統的な日本画家である。しかし、それだけではない。彼は現代の作家の中で最も独創性と革新性を秘めている。」と。
そして考え続けたに違いない。「もし、将来自分が東山魁夷の美術館の設計を任されたとき、魁夷の作品を生かし切るために、どのような器を提供できるのか?」と、、、そして結論に辿り着く。
美術館開設の日に、谷口吉生はこんな言葉を寄せている。「今回の設計で考えたことは、美術館が展示作品の額縁となることだ。」と。「額縁は絵よりも目立ちすぎては鑑賞の妨げになる。」と。「一方で額縁には絵を守る役目もある。」と、、、その額縁を谷口吉生は完璧に創り上げる。「簡潔な意匠と十分な機能性」を特徴とするモダニズム建築(※リンク)によって、、、短歌が降りてきた。