《写真短歌》京都吟行シリーズ(3)伏見稲荷ナウ
「ナウ」はもう若者の間では死語だそうだ。でも、70年代の夕方の人気TV番組「銀座ナウ」を見ていた私にとっては、現在地や現状の意味で使えるこの言葉は、馴染みがあり、便利、且つ微妙なニュアンスも含んでいるようで、今もアリだと思っている。そして短歌にも使っている。
京都からJR 奈良線の「稲荷駅」で降りた瞬間、一番に浮かんだのはこの言葉だ。「伏見ナウ」である。私自身の認識不足と何十年ぶりのご無沙汰のせいではあるが、本当に驚いた。インバウンドが徐々に帰って来ている3月の京都であるが、此処伏見稲荷は特別だった。まるで日本ではないくらい、外国人観光客、外国語で溢れている。
もともと伏見稲荷は全国初詣ランキングの常連であることは承知していた。その昔、私が小学生で訪れたのも初詣で、その時は外国語ではなく関西弁で溢れていた。でも「伏見のナウ」はまるで違う。まさにインバウンドのメッカになっていたんだ。その理由は、流石に私でもピンときた。「映え」るのだ!朱い鳥居の連なりが!
とすると、なんとコスパが良いことか。伏見の神様には畏れ多い話ではあるが、朱い鳥居にはそんなにお金は掛かっていないだろう。メンテナンスも容易だろう。賢いな伏見稲荷!狡いな(畏れ多いが)伏見稲荷!そんなことを考えていたら、上から私のことを見下ろしていた「鍵の狐」がほくそ笑んだように見えた。