《写真漢詩》四長、仙台堀で木槿の名誉を回復する。


  『木槿』は責任感の強い花である。早いものは6月から、遅いものは10月まで、しっかりと夏の間咲き続けて責任を全うする。プロ野球の世界でも(球数制限が強化されるであろう夏の甲子園でも)死語になるかも知れない夏の「先発完投型」の投手である。

 そして、『木槿』の責任感は、観賞面だけではない。薬用面にも及ぶ。蕾は乾燥させれば、「木槿花(モクキンカ)」という生薬になる。胃腸薬としての薬効が有り、夏弱りがちな私たちの胃腸を守ってくれる。また、樹皮も乾燥させれば、「木槿皮(モクキンヒ)」と言う生薬になり、患部に塗れば、私たちの夏の大敵水虫に薬効を発揮する。かように『木槿』は夏病から私たちを守っていてくれているのである。

 そんな『木槿』は、お隣韓国では国花である。国章にも意匠化されている。最高位の勲章も無窮花(木槿のこと、無窮は永遠の意)大勲章であり、これにも意匠化されている。韓国軍の階級章も然りで、日本における「菊」と「桜」の仕事を、韓国では一人『木槿』が担っている感じだ。

 でも、私はそんな『木槿』が小さい頃は苦手だった。その美しい花がではない。「ムクゲ」と言う名前が苦手だったのである。最初「ムクゲ」と言う名前を聞いた時、「ムカデ」とか「トカゲ」とか「クラゲ」とか、昆虫や爬虫類等々を想像したのだと思う。儚げな花を装っているが、実は夜になると「ムカデ」と「トカゲ」と「クラゲ」を合体したような気味悪い生物に変身するのではと恐れていた。

 子供の頃の第1印象と言うのは強烈だ。私が自分の中の『木槿』の名誉回復を行ったのはごく最近である。現役を引退し、仙台堀へ日参するようになってからである。そこには、責任感を持って夏の間、健気に美しく咲く『木槿』の花があった。韓国での木槿の活躍を知ったのもその頃だ。

白地に赤の「宗旦木槿」、茶人千宗旦が好んだ。

 最近では、あんなに嫌っていた「ムクゲ」の名前も、中国「木槿(ムーチン」→韓国「無窮花(ムーグンファ)」→日本「木槿(ムクゲ」と、原産地中国から韓国を経由して日本に伝わる間に変化したのだろうと勝手に考えるようになった。そうなると「ムクゲ」の名前も私の中で俄然美しく響く。現金なものである。

昨年9月末、木槿との別れを惜しんで詠んだ五言絶句。


 

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